モニュメント

北谷町米軍上陸地モニュメント

米軍の沖縄本島上陸について

1945年4月1日北谷から読谷にかけての西海岸からアメリカ軍の沖縄本島への上陸を開始します。

海上は戦艦で埋め尽くされ真っ黒になり、沖縄本島から慶良間諸島まで戦艦の上を飛び越えて行けるのではと思えるくらいでした。

沖縄本島上陸に先立ちたたみ1畳に1発の割合で砲弾が撃ち込まれます。

1発の艦砲弾で体育館ほどの穴が開いたと言います。

沖縄は3ヶ月にわたって米軍の激しい空襲や艦砲射撃を受け、鉄の暴風雨が吹き荒れ沖縄県民の4人に1人が亡くなる沖縄戦が始まります。

北谷町は、平和祈念のシンボルとして米軍上陸のモニュメントを建立した。レリーフには壕(ガマ)の中で死んだ子供を抱え、嘆く母親らしき人物や突進する戦車や兵士の姿が描かれています。

碑文には、1945年4月1日に米軍は、海面を黒く覆い尽くす戦艦・駆遂艦計219隻から山の原形を破壊するほどに熾烈な艦砲射撃後、北谷西海岸から上陸した。日本で唯一の悲惨な地上戦は、一般住民をも巻き込み沖縄県全土で20万余りの尊い人命を奪い去った。
私たちは、沖縄戦の体験と実相から、戦争の不条理さと残酷さを正しく次代に伝え、平和の理念として戦争につながる一切の行為を否定する。そして、平和憲法の人間尊厳の精神に立脚した未来永劫の平和な北谷町の建設を図るため、沖縄戦の風化を許さない歴史的碑として、米軍上陸地碑をここに建造すると記されています。